ヤマドンガで蘇るNTR Sr.の勇姿を見よ

ヤマドンガ
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祝!『ヤマドンガ』 JAIHO にて日本初公開記念!まとんマサラです。

配信サービスに加入して『ヤマドンガ』を観る人は「このおじさんだれ?」とはならないと思いますが、今日は伝説の NTR Sr. について書きます。

冥界に落とされた主人公ラジャ(NTR.Jr)の前に眩いばかりの神々しさで現れた NTR Sr. ことナンダムリ・タラカ・ラーマ・ラオ(Nandamuri Taraka Rama Rao)。『RRR』や本作『ヤマドンガ』に主演するNTR Jr. のご祖父です。生没年は1923-1996。

テルグ映画界を代表する映画俳優、そしてアーンドラ・プラデーシュ州首相を勤めた政治家として知られていますが、大変な苦労人であったことが彼の経歴から察せられます。

1923年、当時のマドラス管区にあった農村部で生まれた NTR Sr. は、親戚夫婦の養子として育ちました。学校に通うため、少年期の NTR Sr. は自転車で牛乳売りをして家計を助けていました。その後、自転車のイメージは彼を表すトレードマークとして、選挙ポスターなどに用いられることになります。

大学でアマチュア演劇を始めた NTR Sr. は、美しい顔立ちと 180cm 近い長身ですぐに映画関係者の目にとまりました。善役・悪役ともに様々な演技で観客を魅了する NTR Sr. はテルグ語映画界の一大スターとなりましたが、政治家への転身は突然のことだったようです。

1982年に NTR Sr. はテルグ・デサム党(TDP: Telugu Desam Party)を結成。「テルグの地」という意味の政党名は当時としては珍しいものでした。選挙運動のスタイルもまた独特で、NTR Sr. 自らがワゴン車に乗ってアーンドラ・プラデーシュ州の各地を演説して周るというもの。選挙期間中は車中泊、風呂は道路脇で水を浴びて済ませていたという記録が残っています。

政治家となったNTR Sr. は汚職の撲滅、女性の権利拡大などに尽力します。女性への相続権の付与、女学校の設立、公職者の私的営業の禁止など。タミル・ナドゥ州のマドラス(現チェンナイ)に飲料水を提供する取り決めを交わすなど、隣接州との連帯にも一役買いました。現在でも、アーンドラ・プラデーシュ州には NTR の名前を冠した学校があります。

NTR Sr. の徹底した反利権主義には、それまで利益を得ていた層からの猛烈な反発が起こりました。中でも、文化功労者への金銭・物資援助を打ち切ったことは当事者からの反発だけではなく、一般層からの落胆も引き起こすことになりました。映画業界出身である NTR Sr. が、意外にも文化芸術に対して冷酷な態度を示したからです。

まだまだ書くことはたくさんありますが、この辺でやめておきましょう。一言でいうと、NTR Sr. はすごい。

参考文献

Ramash Kandula, Maverick Messiah: A Political Biography of N. T. Rama Rao, Ebury Press, 2021

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